路傍生活者

ラブリーでファンシー

デススト日記 #2

現在位置はK4南配送センター、次のストーリーミッションは時雨農場への配達、受注場所は気象観測所。

工程表としては、気象観測所に向かい、受注し、時雨農場へ向かうというルートになる。気象観測所から農場へは時雨に降られず向かうことができるが、K4南配送センターから気象観測所はほとんど常に時雨が降るし、BTとの遭遇は避けられない。

この場合、フラジャイルのテレポート機能を使い気象観測所に向かうのが効率的だが、国道もジップラインも整備されていない今、別の手段によるこの経路の安全確保の重要度が高かった。そこで気象予測からギリギリBTと遭遇しない経路を確定し、開拓することに決めた。

マウンテンノットシティがある雪山の斜面を踏ん張りながら登り、そこそこ角度がついた山肌を等高線に沿って歩いていく。梯子やパイルを忘れたので少ししんどいが、なんとかBTに合わない経路を確定することができた。しかし車両の乗り入れは難しそうだった。

座礁地帯を迂回して気象観測所へ

依頼を受注し時雨農場へと向かうと、途中でミュールの集荷基地にぶつかる。草むらからポーラガンで拘束しまくって回避。途中で気象観測所の落とし物を大量に拾う。

時雨農家は時雨を利用した農法を確立しようとしているらしく、この世界の食糧事情を存じ上げないが、それができればだいぶ嬉しそうだと思った。

帰りがけにビールの配送依頼を受けて、K4南まで運んだ。納品するとプライベートルームにビールが置かれていた。サムに全部飲ませたら酔っぱらって机のモノを床にぶちまけたり、BB相手に変な顔をしていた。プライベートルームはこういう演出のバリエーションがあって楽しい。

K4南に戻ると、ジャンク屋への配送依頼が解禁された。ジャンク屋はテロで娘を失い、フラジャイルとブリッジズを憎む悲劇の男...のはずだったが、実は娘は生きているらしい。とんだ迷惑野郎だ。

一旦彼のシェルターにある廃棄物をタール湖に沈めに行く。確か核爆弾の処理ミッションでここに訪れるはずなので、経路を確認したかった。めちゃ近かった。

今回は一旦ここで中断。結構進んだかな~と思ったけどまだEP3で、全部で15エピソードあるから全然だった。寄り道しすぎたかもしれない。おかげで配達人レベルが既に200を超えている。今回はゆっくり進めようと思う。

デススト日記

グラウンドゼロ湖(なんて名前だ)を超えてきたアメリカの中部エリアまで来た。

中部は国道の建設やプレッパーズとの交流など、デスストらしいコンテンツがたくさんあって楽しい。クリア後のフリーモードも基本的にここで過ごすことになるんだと思う。

一旦最初の三人のプレッパーズ(エンジニア、エルダー、クラフトマン)の好感度を最大まで上げることができた。国道はK4南配送センターまで繋げたが、ここから先のことを考える時が遠くなる。

素材集めはミュールの集荷基地を襲撃すればいいことに気づいた。連中が持っている車を使って金属とセラミックをひたすら運び続ける。これではどちらが略奪者か分からないが、ミュールポストの肥やしを偉大なる祖国のインフラに活用するのだから義賊と言って差し支えないだろう。いや、むしろ義そのものだ。

一周目の反省として、国道を作りきれなかったこと、配達人グレードを上げ切らなかったこと、建設物を作りきらなかったことがある。未踏破のエリアもたくさんあるだろうから、国道を作りつつ徒歩で歩けるところは歩き回りたい。

あとで回収漏れがないように、現状進めていて気になっているものをメモしておく。

Your Partner J

誰おま?K4南配送センターからの依頼で謎のアイテムを回収するとJを名乗る人物からメールが届く。特徴的な口調の人物で、自分が誰だか分からないようだ。手錠端末に新しい機能をつけてくれたりフェイスペイントをくれたりする。何らかの作品とのクロスオーバーだったりするんだろうか?

集荷基地のホログラムの女性

東部の指名依頼でミュールの集荷基地から色々パクってくるというものがある。それ自体はありふれているが、ミュールのテリトリー内の廃工場に潜入するミッションでは謎の女性のホログラムが出現し、意味深な文書が得られる。

この依頼はEC版の追加コンテンツのようだ。ロケーションに見覚えがなく、同じ場所に複数回通って徐々に深度を上げていく構成も今までにない特殊なオーラが出ている。

依頼をクリアして得られる文書も興味深い。「仲間たちへ 手記#1」ではブリッジズと敵対する組織の存在が示唆されている。おそらく廃工場に現れるホログラムの女性が記したものだろうが、どの勢力なのか見当もつかない。

次に娘への手紙が読めるようになる。そこには彼女には「死んだ子供たち」がいるということと、「壊れやすい娘」に未来を託したということが書かれている。壊れやすい?フラジャイル?

筆者の夫と思しき人物の手記には仲間達と配送をしているという記載があるので、この二人はフラジャイルの両親で間違いないだろう。

フラジャイルエクスプレス、あるいはその前身となる組織とブリッジズとの間に確執があったというのは意外だ。ブリッジズのおそろしい計画というのはカイラル通信のことだろうか?

またフラジャイルのルーツでありながら「壊す」というワードを使っているあたりからは、ヒッグスの影を感じざるをえない。

ある男の手記

1から4までをいつの間にか入手していた。

筆者の男はプレッパーズの子供だが配達の仕事をしているらしい。彼はプレッパーズの遺体を処理する際にBTの存在を感じ取り、一瞬だけビーチを見たと書かれている。それも一度ではないということだから、何らかの素養がある人物なんだろう。それでも彼はDOOMSではないし、BTに襲われ死んでいく仲間をどうすることもできない。もっと大きな力が欲しい...というところで手記は終わっている。こいつどう考えてもヒッグスだろ

DOOMSはカイラル汚染に耐性があり、ビーチを通じて常人にはできない芸当をやってのける人々だが、ヒッグスのそれはフラジャイル曰く「レベル7」に相当するらしい。BTを操るってチートだろお前。

しかし最初はBTを感じる程度と、サムと同程度のレベルだったらしい。それがどうしてそんなことに...。

ヒッグスに関連しそうなテキストは他にも集まっている。ハートマンの「カイラル粒子とミダス王の噂」では、ミダス王を名乗る人物がカイラリウムを結晶化させる微生物を使ってカイラル結晶を錬金したという噂について書かれている。この男は微生物を吸収してしまい、その結果カイラリウムを自在に結晶化できるようになったらしいが、こいつもどう考えてもヒッグスである。

先天的には能力を持っていなかったという背景とも符合するし、結晶化の副作用で粒子状に分解されて消えたという話は、がビーチを経由して瞬間移動する能力の原点なんだろう。

映画監督の前に現れるサム

映画監督からのメールに、サムの偽物、サムワンが現れるということが書かれている。実に香ばしい。これは本当に「他のサム」なのか、あるいはなりすまし犯なのか見当がつかない。

 

寒くなると不安になる

寒くなると特に何もなくても不安になってるけど、それと同時に安心についても考えるようになる。

俺の中で不安は開放的な広さと冷たさのイメージに結びついている。海とか宇宙とかのことを考えると怖くなってくるけど、冬の寒空も同じだと思う。

安心はその逆で、閉鎖的な狭さと暖かさに宿っている。実家で使っていたストーブの匂い、車内が暖まるのを待ちながら膝にかけたブランケット、蛍光灯の光にさえ暖かさを感じる曇りの日の教室などなど。

なんにせよ、安心の外側には常に不安があった。不安がなければ安心もなかったのかもしれない。

安心感を噛み締められるので、寒い日も悪くないです。

社会人3年目までに学んだこと

仕事をやって身に付けたノウハウとか心構え的なものを書き出してみる。

品質の話はレビューの時に

あなたがコーディングの腕に自信があり、メンバーが書くコードの品質にモヤっているならレビュープロセスがおざなりになっていると思った方がいい。コードレビューでも設計レビューでも、質の高いセッションができているだろうか?

これはどちらかと言えば品質をコントロールしたい立場に与えられる指針だと思う。レビュー以外の場でクチバシを突っ込まれたら担当者もいい気はしない。

プロセスを守ることでメンバーに敬意を示す一方で、レビューは品質について話し合う貴重な場なのだから、アサーティブに行われるべきだろう。あなたがレビュイーのコードを理解できなければリッチな図がついたドキュメントを要求してもいい。それはリファクタリングの契機になるかもしれないし、中長期的なチームの資産になり得る。レビュイーがヒントを得るために必要な指示を出すのもあなたの仕事だ。

もちろん納期とリソースの問題はあるかもしれないが、そこに待ったをかけるのはチームの成果を維持するための重要な仕事なので、状況に応じてできる限りこのプロセスに時間を割こう。

ミーティングが長いのは根回しが足りない

 我々暇な若者だけで集まるならともかく、忙しい大人のミーティングの前にはある程度の合意を取る必要がある。

ミーティングの目的は大抵意思決定だ。少し社会人をやれば何案かに絞って提示するのが大人のやり方だってことが分かってくるけど、俺たちの世間知らずな提案には大抵ブロッカーが存在する。彼らと合意を取って不確実性を排除するのが"根回し"の目的だ。

根回しは概ねリスク管理の観点で進めるのが良いだろう。あなたの提案はどのようなリスクを抱えているのだろうか。あなたがそれをクリアにする必要はないが、どんな問題が起こるのか想像がつくなら、社内でそれに責任を持っている人に聞いてみよう。あるいは同じ部署の先輩が誰に聞くべきか知っているかもしれない。リスクを洗い出すのはその領域のオーナーの仕事だが、それを把握するのはあなたの仕事だ。

もちろんリスク以外にもケアすることはある。その提案に潜むポジティブな機会を見つけ出し、受益者と一緒に利益を試算できれば、意思決定者にその案の良さを十分にアピールできるだろう。

根回しをサボった場合、あなたの自信満々な提案には即座に待ったがかかり、単価×時間×人数の損失が発生する。そんなのはミーティングの前に片付けておく事案なので、根回しはちゃんとやろう。

手続きでなく成果の効率化

業務効率化といった時に、効率化された業務が成果に直結しないものでは意味がないが、手続きを効率化しようとすると簡単に陥る誤謬だ。効率化の話が回ってきたら、まずはその業務がどのようなインパクトを持っているか精査しよう。それを効率化の手間賃と比較してみると、やめてしまった方がいいという場合もある。あるいは、業務の構造を一切合切変えてしまうこともありえる。もはや原型を留めていなくても目的を達成する手段は無数にあることを忘れてはいけない。その判断が最適化であり、手続きの効率化の視点とは壁一枚で隔てられている。この壁を意識的に透視してみるとよい。そのためには目的とインパクトに立ち返る必要がある。

ユーザーの行動変容が成果物

ソフトウェアのリリースは当然そのユーザーに影響を及ぼす。俺たちが書いたコードは人の認知と行動を変えることを目的に本番環境にデプロイされる。

この原則に立ち返れば、ユーザーが使い方を学ぶためのコンテンツを用意する必要性が理解できる。ハウツーガイド、チュートリアル、ワークショップなどを整備し、ユーザーがスムーズに機能にアクセスして成果を得ていることを最終ゴールに設定するべきだろう。

効果測定をゴールに置くなんてのはビジネスマンの基本だが、俺みたいに社内で宙に浮いてるエンジニアには馴染みがなかった観念なので、未熟な組織で働く人は意識すると良いと思う。

モデリングはエキスパートと一緒に

中規模のプロジェクトから小規模な依頼の解決まで、まずはドメインエキスパートと一緒にモデリングすることから始める必要がある。

俺の場合はまずFigmaに自分の理解を作図する。それは大抵役立たずの妄想画だが、その図が何を表しているのか、そして俺が何を間違えているのかくらいはドメインエキスパートに伝えることができる。

これは最初俺にとって不思議なことだった。彼らはUMLを知らないのに、なぜかそれを理解できる。おそらくUMLで書き表されるモデルというのはそこそこ普遍的な観念だし、UIデザインなどを通じてミーム化しやすい。さらに自身の専門領域で例示されることで、案外容易く理解できるんだろう。

間違いを仕込んでおくというのも一つのテクニックで、ドメインエキスパートは修正を通じてモデリングに没頭することができる。そうなればこちらのものだ。Figjamボードの世界でユビキタス言語と饒舌なモデルを用いながら質の高いコミュニケーションを取り放題になる。

いかがでしたか?

アリジゴクとおれ

俺はまともにペットというものと過ごしたことがない。

両親が離婚する前、俺の家には「さくらちゃん」という犬がいたが、俺は彼女のことをあまり覚えていないし、元カノと名前が被っていて今は思い出すの気まずい。唯一覚えているのは、幼少期の俺は犬が怖かったということだけだ。

それからは哺乳類を飼うことは一切なく、その代わりにカブトムシやメダカを飼っていた。

しかしカブトムシもメダカも、俺が積極的に飼いたがった覚えはないし、メダカについては母親が飼ったものだった気がする。俺はあまりクワガタやカブトムシのような硬くて黒光りする生き物に興味がない...というか、カッコいいとは思えど、どうにも愛着が湧かなかった。なぜうちにいたのかは分からないが、確か誰かの好意で幼虫を譲ってもらったのだろうか。細かいことはあまり覚えていないが、腐葉土と昆虫ゼリーの匂いが不快だったことは鮮明に覚えている。

しかし例外として、アオダイショウの子供とアリジゴクには興味を持っていた。

アオダイショウに関しては、インターネットに接続されていなかった当時、飼育方法が分からなかった。衰弱させては申し訳ないので、非常に残念だが彼を捕まえて二日で手放すことになった。その間に小学生らしい貧相な発想力で鮭フレークを与えたりしたが、今考えると塩分濃度が高すぎるんじゃなかろうか、彼がそれを口にすることはなかった。

俺はこれが今でも悔しいのだが、それほどまでに蛇はかわいくて、どうしても飼いたい生き物だった。

その蛇とは用水路で出会ったのだが、その場に居合わせた隣の小学校のRくんが飼いたがっていたのを、捕まえたのは俺だからと言って連れて帰った。今思えば普段の温厚さからは想像のつかない熱量で蛇を欲しがっていたRくんに譲ってあげればよかった。Rくんはその後大人の蛇(?)を飼い始め、そいつに食わせるためのカエルをたくさん取ってくるようになったので両親が難儀したらしい。蛇は小学生を熱狂させうるエキサイティングな生き物だ。

さて、蛇の飼育は難しいことが分かったが、当時俺を熱狂させていた生き物はもう一種いた。それがアリジゴクだ。

彼らのすり鉢状の根城にアリをつまんで落とすと、すり鉢の底の砂がモゾモゾと動き、彼らの恐ろしい形状の顎がその姿を見せる。彼らはその顎を激しく動かして、アリに砂をかける。アリは足元を流れる砂に囚われて、懸命にもがくも次第にすり鉢の底へと滑り落ちていく。そして最後はすり鉢の主の凶悪な顎に囚われて、砂の底に姿を消すのだ。

俺は彼らの捕食シーンに魅了され、夏休みなどはよく虫オタクの友人と砂漠化した団地の植え込みでデスゲームに興じていた。

そんなある日、俺は彼らの素晴らしい性質に気が付いた。彼らは乾燥した砂場に住み、餌はどこにでもいるアリなので、我が家でも簡単に飼うことができるのだ。

俺は長いこと住人不在だった虫かごに砂を詰め、可哀想なアリで彼らを誘き出し、すり鉢の底から引き摺り出した。

アリジゴクの全体を見たことはあるだろうか?彼らは普段は身を隠しているし、捕食の際はその凶悪な顎だけを覗かせるが、砂の下には大きくてぷにぷにの腹部が埋まっている。俺はその感触が好きだったし、不思議な生態も相まって、彼らを大変気に入った。

俺が用意した砂のみが入った虫カゴにアリジゴクを解き放つと、そのキュートな腹部で力強く砂に潜り込み、凶悪な顎で砂を払い飛ばしながら巣を作り始めた。巣作りは案外時間がかかるものらしく、その全てを見届けることはできなかったが、その様子を家の中で観察できて大変満足した。

それからしばらくは家の虫カゴにアリをデリバリーして私的にデスゲームを開催できることに喜んでいたが、ある時からアリジゴクは顔を覗かせなくなった。不審に思って彼の巣を掘り起こしてみると、そこからは砂のボールが出てきた。

そのボールはボールと呼ぶに相応しい丸さで、俺はそれが彼らの蛹であることを知っていた。

こうなってしまうとうんともすんとも言わないので、俺は羽化を待ちつつ放置した。

ある日虫カゴを覗くと、そこには一匹の美しいトンボのような虫がいた。普通のトンボが羽を広げてとまる一方で、彼は羽を折りたたみ、虫かごの上辺に儚げにとまっていた。

当時の俺は彼らが短命であると思い込んでいたので、しばらくその姿を眺めてからすぐに放ってやった。しかしアリジゴクの成虫であるウスバカゲロウの命は1ヶ月以上も続き、短命なのは別のカゲロウであることを、このポストを執筆している最中に知った。

これが俺にとって唯一の、生き物を飼うことについての成功体験だ。

デジタルデトックスはバカ

昨日から紙とペンに向き合っている。B5サイズのノートとジェットストリームiPhoneMacBook Proよりも健康的で、いくらか俺の生活に良い影響を与えてくれそうなアイテムに触れてみて思い出したことがある。

一緒に思い出して欲しいが、俺たちはガキの頃から紙とペンに世話になってきたはずだ。しかし、果たしてそこに何かあっただろうか?無いこたない。無いこたないが、あったこともなかったと思う。

何に期待してたんだろう。バカみたいじゃないすか。ただの逆張りですからね、それ全然面白くないですよ。

さっきノート見返してみたら、いろんな書体で「近代」って書いてた。キモすぎる。紙とペン与えたら延々とそういうことするガキだったことを思い出した。友達いなそう。

なんなんだ、マジで

生活から乖離する

生活者としての自分から乖離していく感覚がある。乖離した結果がこのブログを書いている俺で、この視点は生活を冷めた目で見ている。

昔からなんか変だなと思うことはあった。俺が俺自身を知っているつもりでも、俺の姿形や名前、社会的な関係性から浮かび上がるシルエットについてまるで身に覚えがないという事態がたまに発生する。

俺に骨肉と名前、社会的な関係があることに、改めて感心することさえある。初めてアクセスしたサイトのはずなのに、パスワードマネージャーがログイン情報を覚えていて、以前にアカウントを作っていたことが発覚するのと似たような感覚がある。あーこんなID使ってたんだぁ、みたいな。

このような乖離が起きるのは、俺が生活をまともにやっていなかったからだと思う。自筆の文章に登場する「俺」にばかり着目して、それを書いている自分の普段の顔や、今まさに右足で踏み潰している煙草の空き箱のことは意に介さない。

そうしていると、部屋が荒れているとか、生活リズムが乱れているとか、体に出てくる不調とか、そういったものに意識が向かなくなってきて、気が付けば酷い暮らしを送っている。

結局のところ、俺は生活を軽く見ていて、自分を取り巻く物事の意味を考えて整理することに存在の重心を空いているんだと思う。なんでそんなことを考える必要があるのか、それをやめたら俺はどうなるのかまるで分からないが、その思考が悪い方に向かないとしても、生活の質量からは相対的に虚しいものに見える。人前に立てば俺自身を構成するものの軽さが浮き彫りになってしまうから、会社などで人と話す時はボロが出ないか不安だ。

今すぐ何か困るってわけではないけれど、生活者としての自信が失われている限り、俺は路傍に突っ立ったままなんだと思う。