路傍生活者

ラブリーでファンシー

土手で会ったお姉さんとの思い出

家の近所に江戸川が流れていて、土手には猫がいる。猫たちは数匹で土手に寝転がっていて、近付くと逃げてしまうから、僕はいつも少し離れて眺めている。

ある日(去年の秋頃だったと思う)土手を歩いていると、猫と遊んでいる女性がいた。女性は猫用のおもちゃを持っているようだった。毒々しい毛虫を紐で結んで棒にくくりつけたような粗雑な作りだった。

気になったので近づいてみると、猫のうちの一匹がこちらに気づき身構えた。邪魔しては悪いので僕は動きを止めた。女性がこちらに気付き、宥めるように猫を撫でると「こんにちは」と声をかけてきた。

 

女性は近所に住む人で、最近はよく猫と遊んでいるそうだ。とはいえ平日の昼間なので、何をしている人なのか少し疑問に思ったが、これは相手からしてもそうだろう。

しばらく話をしながら猫と遊んで、数分後に僕はその場を去った。

それからの数日、ねこ溜まりに行くと60%の確率でその女性に遭遇し、僕はそれを楽しみに通うようになっていた。

土手に通ううちに、彼女の名前(ここでは仮にNさんとする)や猫アレルギーなので家で猫は飼えないこと、数ヶ月前に仕事をやめて今はニートであること、暇なので今は自動車免許を取ろうとしていることを知った。

 

ある日、僕たちはめずらしく土手を離れて近所のカフェに入った。Nさんは「デートみたいだね」と笑っていたが、僕は心中を見抜かれたようでドギマギしていた。

そのカフェは客が少なく、控えめなジャズが流れる空間でお互いの好きな音楽や身の上の話をした。会話の中で、Nさんは新卒で入った会社で適応障害になり、それが原因で退職したことを明かした。Nさんが勤めていた会社はブラックとまでは言わなくとも、僕だったら耐えられそうにないと思った。かける言葉を持たない僕は、お互いワケありですねなどと言ってお茶を濁した。

店を出ると外は薄暗くなっていた。僕が帰ろうとするとNさんに引き止められた。

「うち近いんだけど、ちょっと飲んでいかない?」

僕はまたしてもドギマギしながらNさんの誘いを引き受けた。

Nさんの家は小さなアパートの一階で、玄関には缶チューハイがぎっしり詰まった段ボールが置かれていた。信用できますねと言うとNさんは笑っていた。

Nさんが軽いつまみを作ってくれると言うので、僕はNさんの部屋で待つことになった。全体的に綺麗にされていて、なんだかいい匂いのする部屋だった。

しかし、その中でも壁に飾られた一枚の絵だけは部屋の雰囲気から浮いていて、異質なオーラを放っていた。

その絵は、縛り首にされた全身が青白い人間が中央に描かれており、顔には血のように赤黒いモザイクがかかっていた。周りには跪いてロザリオを掲げる男や、子供を抱いて涙を流す母親などが描かれていて、宗教画のように見えた。

Nさんが戻ってくると、絵を凝視する僕を見て「ああ、これね。イセイだよ。遺体の遺に聖書の聖で遺聖」とだけ言ったが、それ以上の説明はしてくれなかった。僕も詳しく聞く気にはならなかった。

その後は二人で酒を飲み、将来の話や過去の恋愛の話などをしたが、時たま視界の片隅に映る不気味な絵に気を取られていた。

しかし話が盛り上がってくると、それも次第に気にならなくなってきた。Nさんにならなんでも話せる気がしたし、Nさんも色々な話をしてくれた。信用されているんだと思って嬉しくなった。

僕はNさんのことが好きだった。Nさんには恋人がいないようだったし、ひょっとしたら付き合えるんじゃないか?などと、この時は考えていた。

 

あまり長居するつもりもなかったのに、気がつくと僕らはベロベロに酔っ払ってベッドの上にいた。僕が仰向けに寝転がり目をつぶると、Nさんが電気を消した。エロ200%の空気で、内心ウハウハだった。

こんな幸運もあるんだなと思いながら目を開けると、とんでもないものが目に映った。

天井に蓄光インクのようなものでこう書かれていたのだ

 

■■■■■■■■■■■■■

 

瞬間、視界が暗転し、気がつくと地下牢のような空間にいた。そこにはNさんの部屋の絵に描かれた青白い人間、遺聖が横たわっていた。生気は感じられず、まるで死体のようだった。

遺聖の顔をよく見ようとすると、認識を妨害するように赤いモザイクがかかり、眉間に激痛が走った。

あまりの痛みにうめき声をあげると、遺聖の体がピクリと反応した。僕は恐怖で一瞬痛みを忘れた。体が硬直し息もできなかった。

遺聖がゆっくりと起き上がりこちらを向く。モザイクはノイズが入ったように乱れ、眉間の痛みは激しさを増すばかりだった。

遺聖がこちらに近付いてくる。恐怖が次第に畏怖へと変化する。ジジジ...と脳内でノイズが響く。頭が割れそうなほど痛い。

遺聖が右手をあげ、僕の眉間に人差し指をくっつける。その指はひんやりと冷たくて、頭痛はピークに達した。

次の瞬間、頭の中でバチン!と何かが破裂するような大きな音がして、僕は意識を失った。

 

(終)