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斜に構逆張りオタクをやめたい

この記事を読んで、というかタイトルを見た時点で胸に刺さったので自分のことを考えてみた。

斜に構えるタイプの人は変われるのか - Konifar's ZATSU

 

そつなくこなしているつもりで難しい課題から逃げている。できている気になっているがレベルは高くなく、まわりの評価と自己評価の差分が大きくなる。それ自体もまわりのせいにしだしたりして自尊心が肥大化していく。
自分を守るためか、無意識的に本気を出してないふりをする。底を見せることも見るのも怖いのかもしれないが、逆に自分のハードルを自分で上げてしまいまわりからのフィードバックを素直に受けることもできなくなっていく。

 

まさに俺のことを言われているようだった。

まずは俺のパーソナリティを紹介しよう。小中の頃はあまり勉強せずとも好成績で、ちょっとした調べ物や読書で仕入れた知識をひけらかしていて、Twitterによくいるオタクと同じように現代文が得意だった。限定的な動作において手先の器用さを発揮したので、切り絵や模写などで評価を得ていた。プログラミングに興味を持ち、ちょっとしたコードを書いて遊んでいた。それらが高じて高専に入り、課外活動としてコードを書いていた。

そこにあるのは、少ない努力で承認を得た成功体験と、逆張りちょい齧り戦略だ。

逆張りちょい齧りとは、具体的には読書や切り絵やプログラミングを指す(俺の場合)。多くの小中学生が読まないような本を読み、図工の授業で扱わない切り絵をやり、誰も興味を持たないプログラムを書いた。それが純粋に楽しかったのも事実だが、そこで得られる承認の快楽も無視できないほどに大きかった。

そしてもう一つ重要なファクタとして、それらは極めて少ない労力で達成することができた。ある分野の入門書を読めば人類の上位十数%程度には詳しくなれるという話があるが、始めた人間が始めていない人間に対してつけられる差はかなり大きい。また自身が楽できる以上に、少ない努力で成果が出せる自分をアピールすることもできた。まるで天才児だ。単発の努力、単発の成果、単発の承認。これをひたすら繰り返すことに精を出した。

 

このスキームに疑問を持ったのは高専在学中の頃だった。

高専には少なからず俺と似た人間が集まっていた。彼らは地頭がよく器用で、すぐに「〇〇極めるわ」と口に出す。単発成果バトルが始まった。俺はちょっとしたプログラムを書いてはネットに上げて悦に浸った。手癖で作れるものをたくさん作った。

しかし世界は広かった。俺を褒めてくれるのは俺と同じようなレベルの身内だけだったが、それらを顧みずさらに上を目指す奴らがネットにはゴロゴロいた。俺の逆張りは元来周囲と差別化して承認を得るためのものだったのに、今では同じようなレベルの連中と傷の舐め合いのような賞賛を送り合っている。そんな状況に嫌気がさして、常にストレッチできるような環境に身を置くべきだと考えた。また、自分と同じレベルにある人間を見下すことが、このような状況から脱出することに繋がるとも考えた。

こうして俺は、「斜に構えるタイプの人」としてワンステップ昇格することになる。

 

俺は周囲を見下すためのポーズとして、少なくとも上を向いてはいたと思う(この状態を一般的に「プライドが高い」と言う)。しかし上に行くために必要な態度が足りていなかった。素直さと素朴さだ。斜に構逆張りオタクの対極に位置する言葉だ。

勿論そんな態度では大して成長できず、現実とプライドに大きなギャップができる。するとどうなるだろうか。例の記事をもう一度引用しよう。

自分を守るためか、無意識的に本気を出してないふりをする。底を見せることも見るのも怖いのかもしれないが、逆に自分のハードルを自分で上げてしまいまわりからのフィードバックを素直に受けることもできなくなっていく。

堕落の極致である。これでも向上心だけは持っていたので、当時は水の中でもがくも虚しく底に沈んでいくような感覚を持ち、大いに苦しんだ。そこから逃れるために新しいことを始めて、しかしそれでは今までと同じであることにすぐ気付いた。詰みである。

 

どうやって脱出するのか

現状把握をして目標を見直し、そのギャップを埋めるための努力をするだけでよい。極めて素朴な答えであり、実践のためにもまた素朴さが要求される。

基本的に人は自分より高いレベルを高解像度で見ることができないから、自分より高レベルな人を頼る必要がある。しかし身の丈に合わないプライドが他者を格上と認めることを拒む。

この状態によくあるのが、周囲の人間の優れた点を認めず、わかりやすくハイレベルな人間にしか従わない高慢さだ。しかしそんなハイレベルな人とは簡単に出会えないから、周囲から自分より優れた人を探す必要がある。それに気付けば自然と人を評価する目が養われ、リスペクトのようなものが芽生える。

そのようにして、俺はついに必要に迫られる形で斜に構逆張りオタク脱出レースのスタートを切った。

 

とは言え、長年の振る舞いで骨の髄まで染みついた斜に構逆張りオタクのスピリッツと縁を切るのは難しい。捨てきれないプライドの背丈は俺自身よりも高いままだ。このブログを書いているのだって、斜に構から脱出し始めて一番スピードが出ているタイミングだ。

正直なところ、仮想の斜に構逆張りオタクに対して「まだそのレベルにいるの?w」と内心笑っていることを否定しきれない。

でもいつか治すから。こっからが難しいんだろうけど。