結構前に読み終わっているけど、再読したので感想を。
最初の話というのもあるけど、喩えの話が好き。児玉さんはどこからか俺たちの想像力を飛び越える喩えを取り出してくる。例えば、『猫はカレーライスのように冷たい』。
俺が好きなのは『郵便ポストは深海の蟹のように秘密を守る』。
児玉さん曰く、喩えによって今まで存在しなかった二つの事物の間の関係が生まれるらしい。
これはなんだか面白いぞと思った。
児玉さんがやっているのは直喩だ。「AはまるでBのようにほにゃほにゃ」と言うことで、AをBに喩えていることを明示している。
俺たちは小学校でもう一つの比喩を教わっている。それは隠喩だ。
隠喩の例は調べてみてほしい。
ところで俺が気になったのは、「鉄のカーテン」とか、「核の傘」とか、「人種の坩堝」とか、「ドーナツ化現象」とか、そういうものは特に隠喩の例として挙げられないけれど確かにその類で、ドーナツと人口密度というまるで関係のない二つの事物を関係付けるような"喩え"の面白さがある。
それに、俺たちがこれらの言葉を口にするとき、児玉さんがやったような直喩よりも無自覚に用いているような気がする。
だからたくさん集めてみようと思った。
...案外思いつかない。
こうしてみると、字面通りに受け取ってもよくわからないものばかりだ。意外性があって面白い。
一通り挙げてみて思ったのが、例えばモンキーテストなら『猿のように無造作に行われるテスト』と書き下すことができる。では『深海の蟹のように秘密を守るポスト』は、『深海蟹』になるのだろうか?なんか違う。これは造語遊びだ。
創作物にこのような造語が出てくると、郵便ポストは深海の蟹のように秘密を守るという比喩についての合意があると捉えることができて、世界観を読者に想像させる効果が期待できるかもしれない。しかし比喩そのものを楽しむなら、やはり児玉さんみたく直接的に喩える方がよさそうだと思った。
では児玉さんの喩えは何故素敵なのか。
児玉さんはある事物の(俺のような凡俗には見えていない)一面を捉えて、別の事物と関連付けている。この面の捉え方というのが素敵さの根源だ。深海の蟹は秘密を守っている(ようだ)だなんて、俺は一度も思ったことが無かった。
ここで言う文学とは眼差しと表現だ。だから児玉さんは"別の目で見ている"笛田君を気にかけて、彼に言葉を与えようとしているんだなと勝手に納得した。