路傍生活者

ラブリーでファンシー

児玉まりあ文学集成を読んだ。"喩え"の話

to-ti.in

結構前に読み終わっているけど、再読したので感想を。

最初の話というのもあるけど、喩えの話が好き。児玉さんはどこからか俺たちの想像力を飛び越える喩えを取り出してくる。例えば、『猫はカレーライスのように冷たい』。

猫をたとえる児玉さん。

俺が好きなのは『郵便ポストは深海の蟹のように秘密を守る』。

児玉さん曰く、喩えによって今まで存在しなかった二つの事物の間の関係が生まれるらしい。

深いことを言う児玉さん。

これはなんだか面白いぞと思った。

児玉さんがやっているのは直喩だ。「AはまるでBのようにほにゃほにゃ」と言うことで、AをBに喩えていることを明示している。

俺たちは小学校でもう一つの比喩を教わっている。それは隠喩だ。

dictionary.goo.ne.jp

隠喩の例は調べてみてほしい。

ところで俺が気になったのは、「鉄のカーテン」とか、「核の傘」とか、「人種の坩堝」とか、「ドーナツ化現象」とか、そういうものは特に隠喩の例として挙げられないけれど確かにその類で、ドーナツと人口密度というまるで関係のない二つの事物を関係付けるような"喩え"の面白さがある。

それに、俺たちがこれらの言葉を口にするとき、児玉さんがやったような直喩よりも無自覚に用いているような気がする。

だからたくさん集めてみようと思った。

...案外思いつかない。

こうしてみると、字面通りに受け取ってもよくわからないものばかりだ。意外性があって面白い。

一通り挙げてみて思ったのが、例えばモンキーテストなら『猿のように無造作に行われるテスト』と書き下すことができる。では『深海の蟹のように秘密を守るポスト』は、『深海蟹』になるのだろうか?なんか違う。これは造語遊びだ。

創作物にこのような造語が出てくると、郵便ポストは深海の蟹のように秘密を守るという比喩についての合意があると捉えることができて、世界観を読者に想像させる効果が期待できるかもしれない。しかし比喩そのものを楽しむなら、やはり児玉さんみたく直接的に喩える方がよさそうだと思った。

では児玉さんの喩えは何故素敵なのか。

児玉さんはある事物の(俺のような凡俗には見えていない)一面を捉えて、別の事物と関連付けている。この面の捉え方というのが素敵さの根源だ。深海の蟹は秘密を守っている(ようだ)だなんて、俺は一度も思ったことが無かった。

ここで言う文学とは眼差しと表現だ。だから児玉さんは"別の目で見ている"笛田君を気にかけて、彼に言葉を与えようとしているんだなと勝手に納得した。

WAIS他諸々の結果きたよ

WAISの結果がきた。WISCを受けた時よりIQは下がっていた。同年代の中で相対的にちょっと上くらいって感じの数字。逆にずば抜けていた時代はなんだったんだ。

IQは面白い結果が出なかったのでもうどうでもよくて、問題なのはディスクレパンシーだ。最も高いのと低いのの間に50以上の差がある。最低は境界知能辺りを彷徨っていた。まあでも、最低でも境界知能ということは、まあ全体的に悪かないということだと思ったのだが、心理士に改めてディスクレパンシーがデカいことのデメリットを聞いたところ、Aは得意なのにBが境界知能レベルの苦手さという場合、能力のトップラインで滑り込める定型発達の集団に属した場合、足を引っ張っている能力のへこみ具合がエグいためめっちゃ困るということらしい。

雑な図にするとこんな感じ

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数学の偏差値が70ある人が偏差値70の進学校に入ったら、英語の偏差値が40くらいしかなかったので授業についていけないとか、そんな感じのことが起こる。

改めて言われると納得である。

 

あとはWAIS以外にも受けた他の検査の結果も来た。俺の主観での困り具合をテストする検査では、診断降りがちラインを大きく上回る困り度が検出されたらしい。これは主観なのでなんとも言えない気持ちになった。

 

診察でちゃんと近況話せるようになれば診断降りるんじゃないか。最近どう?と聞かれた際、適当に「いい感じっすね!」と答えたら詐病を疑われたので、適当なことは言わないほうがいい。

日記

起きてから、コンビニの蕎麦を食べて、Valorantをして、カレーを食べて、Valorantしようかな〜と思ったけど、散歩をすることにした。

Valorantをやめておいたのは、今日稼いだポイントをまた溶かしてしまいそうだから。レイナとかキルジョイとか、使ったことなかったエージェントの方が調子がいい。

散歩をすることにしたのは、実家から下駄が届いたから。母親に誕生日に欲しいものはないかって聞かれて、下駄って答えた。そしたら下駄が届いた。

友達にも欲しいもの聞かれたけど、サボテンと答えたら、どんな形がいいか聞かれた。俺に似合うサボテンを選んでよと言ったら困っていた。本当に、どんなサボテンでもいいよ。

スープカレーはレンチンのやつだけど、水じゃなくて牛乳を入れたら美味しくなった。水でも牛乳でも良いものは、どんな時も牛乳にした方が美味しい。子供の頃から牛乳が大好きで、水代わりに牛乳をゴクゴク飲んでいたら、母親に高いんだからやめなさいと言われた。確かに自分で買うと高く感じた。

土日はなんだか、何をしたら良いかわからなくて困ってしまう。早く月曜にならないかな

8月が終わるので、小中学生の夏休みも終わってしまう。夏休みが終われば、夏も終わりだ。夏、終わるのかぁ。夏は季節というより年一のイベントという感じがする。秋は大好きなので、早く秋になって欲しい。でも夏が終わるのは寂しい。

9月か10月に連休を取ってどこかに行こうと思う。でも泊まりとかは面倒だし、日帰りでいいかも。そしたら連休じゃなくてもいいのかもしれない。

秋を感じたい、早く〜

都会のトム・ソーヤについて

内容はよく覚えていない。が、平凡を自称するサバイバル能力の高い男子中学生、内藤内人と、竜王グループ(そういうグループがあるのだ)の御曹司、竜王創也がタッグを組み、ゲームを作ったり、ゲームに参加したりするという話だった。トム・ソーヤというのはかなりこじつけで、ソーヤはそのままだが、トムの方は、内人→ないと→「と」が無い→と無→トム、という理屈らしい。

彼らは「砦」というビルの一室だかなんだかに集まり、なんだかよく分からんことに首を突っ込みまくっていて、よく考えるとそこまでゲーム全振りではなかった気がするけど、アーバン系ワクワク冒険小説だったと思う。

作中には「栗井栄太」を名乗るゲーム制作集団存在しており、二人をゲームに招待したりするのだが、それが話として面白い上に、創也が悔しがっていいものを作ってやろうと燃えたりして、かなりアツいモノづくりストーリーでもある。これを読んだ当時は素直な小学生だったので、やはり素直にモノを作ることに情熱を燃やしたいと思ったものだった。

なぜこの本を思い出したのかというと、飲み会で人生に影響を与えた創作物の話になり(こういう話をみんなでできる飲み会は、いい飲み会だ)、いい作品はあげればキリがないが、影響と言えばこれだなと、記憶の奥底から引っ張り出してみたら案外覚えているもので驚いた。

もう一度読んであの頃の気持ちを思い出したい。すごいワクワクしたのを覚えている。児童小説とはいいものですね。

日記

昨日からストラテラ25mgを飲んでいるけど、容量低めということもあって二日目にして副作用をほとんど感じなくなった。今日感じたのは平時からあった異常食欲が緩和されたことくらいで、間なし何か食べていないと気が済まないのには俺も難儀していたのでありがたい。効果が出始めるのは1,2週間後とよく言われているが、心療内科の先生はすぐに出る人もいると言っていた。プラシーボ効果ではなく?

 

髪が伸びてきたので縛るようにした。おでこの左右からハラハラ髪が落ちてくるけど、これはなんかそういう髪型に見えるのでセーフ。いよいよ髪の長さを気にしなくてよくなると思うと嬉しい反面何かを失っている気がする。これが似合ってるのかどうか分からないので俺に会った人はフィードバックください。

 

夏なので音楽をたくさん聴いている。好きなアルバムをひたすら貼ります(季節感はない)

 

スリーアウトチェンジ - Album by Supercar | Spotify

スーパーカーのファーストアルバム。歌詞はちょっと切ない諦観を含んでいるようで後ろ向きすぎることもなく、青春っぽく甘酸っぱい曲が多い。このアルバムを制作したのは作詞を務めるギタリストが高専を卒業したタイミングらしいが、何食ったらこの詞が書けるんだ

 

ファンファーレと熱狂 - Album by andymori | Spotify

最初の曲『1984』内に繰り返し出てくる「ファンファーレと熱狂」がアルバム名になっている。街の雑踏を駆け抜けるような疾走感とノスタルジーの入り混じる名盤。

とにかく詞のセンスとリズムがよく、お気に入りのフレーズがいくつか見つかる。マジで好き

 

幼さを入院させて - Album by Shinsei Kamattechan | Spotify

最初の曲が進撃の巨人のEDに起用された夕暮れの鳥で、これは神聖かまってちゃんホーリーっぽさが巨人にマッチしてていいと思った。その雰囲気はアルバム全体を通して感じるが、うまくいかない現状の追認のような歌詞が多いのも相まって息が詰まる。

これを聴いてる俺たちはこれからどうするんだという問いを立てるなら、今こうして神聖かまってちゃんを聴いてる現状が答えになる そういう閉塞感に包まれたアルバムだと思う

部屋を綺麗に保つ方法 暫定版

はじめに

部屋を片付けてから一週間ほど経ったが、それでも部屋は綺麗なままだ。こんなに長続きしたことは今までにないし、住環境のメンテナンスは諦めていたことなので、その一歩を踏み出せたのが嬉しい。

今回は今後この状態を継続するためにも部屋を綺麗に保つのに役立ったことをまとめる。

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やったこと

  1. メンテナンス性の高いレイアウトに組み替える
  2. 収納を減らす
  3. ざっくりとした運用フローを守る
  4. 部屋で過ごすことを楽しむ
メンテナンス性の高いレイアウトに組み替える

部屋で過ごしていて感じたストレスのうち、レイアウトに起因するものを解決した。

まず、以前のレイアウトでは作業机の後ろに布団が敷かれており、椅子の可動域を制限していた。そのため椅子をどかして机の下を掃除するなどが難しく、机の周りの床はいつも汚くなっていた。

また、サブデスクにデスクトップPCを置き、その下に本棚を置いていたのと、メインデスクと垂直になるように配置しL字デスクのようにしていた都合でその周辺のメンテナンス性が極端に低くなっていた。

上記の問題を解消するために、椅子の背面には物を一歳置かずに済むようなレイアウトに変更した。サブデスクはメインデスクに並べて置き、その下に置かれていた本棚を部屋から出すことで床の掃除をしやすいようにした。

収納を減らす

以前はサブデスクの上に小物入れを二つ置き、そこに色々なものを入れていたが、中身はぐちゃぐちゃでほとんどテンポラリーな物置となっていた。つまりこの場合収納は収納として運用されておらず、必要なのはちょっとした物を置いておくスペースということになる。

話が脇道に逸れるが、ものを収めるにも2つ種類がある。一つは収納で、物の出し入れが容易な反面、いくらかのコストを必要とする。複雑なツリー構造は挿入の計算量が嵩むのと同じイメージだ。もう一つはただものを置いておくだけのものであり、よくメモリと例えられる。その時使用しているものだけを出しておき、それが終われば片付ける。

俺の場合この二つの区別がつかず、全て後者のメモリ的用法で済ませようとしていたことに問題の根本がある。使いそうなものがそこらに転がっているのが一番良いという発想で部屋からは秩序が失われ、割れ窓理論的にゴミも散らばり始めるというわけだ。しかし案外日常の中で必要になるものは少なく、それらはクローゼットに仕舞い込んでおけば良いことに気付き部屋の中がシンプルになった。

ざっくりとした運用フローを守る

上記二つの施策で部屋の保守性が高まり綺麗にもなったが、これを継続するために運用にも力を入れる必要がある。とは言え今までこれができなかったのは保守性の問題によるものなので、後はやるだけということになる。

したがって今俺が実践している運用ルールも至ってシンプルなものになっている。机の上に出ている物を一定時間ごとに片付ける、数日おきに掃除機をかけるというものだ。以前はこれが大変難しいものに感じられたが、やりやすいようにすれば案外続くものらしい。

部屋で過ごすことを楽しむ

これは今回の大本命だ。以前は自分の汚部屋を消極的に肯定しつつも、やはり部屋で過ごすたびにその自堕落さと向き合うことになりあまり好きにはなれなかった。

しかし今回部屋を片付けたことで部屋で過ごすのが好きになり、それを保つために運用ルールを守るという好循環が出来つつある。

また部屋を好きでいるために、サブデスクには好きなものだけを置くというルールを定めている。今置いているのは、直近で読んでいるまたは読みたい本、ウイスキーのボトル、ラジオ、煙草、自作の埴輪や絵などの小物だ。寝る前にデスクライトとラジオをつけて小説を読みながらウイスキーを飲んだりするとサイコーである。カフェやバーに行って楽しんでいる雰囲気をいつでも自室で再現できるというのが一つの指標で、これが部屋を綺麗に保つモチベーションになっている。

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おわりに

いかかでしたか?と言っても大抵の人間は上記の問題を既にクリアしているだろうし、俺のように部屋に不満を抱えている人間のモチベになれば万々歳だ。

やはり特に良かったのはライフスタイルに好影響を与える環境としてワークしていることで、これから更に部屋を好きになれるように工夫を重ねられたらいいなと思う。

 

思い出触れづらい問題/星のカービィディスカバリー

このような場で思い出を振り返るなら、それを覚えている人が限りなく少ないものがいい。その思い出を共有している人に見られるのはなんか気恥ずかしいし、自分と見え方が違った場合なんか寂しくなるだろうから。そんなんだから高専以前の思い出話が多いんだけど、とは言えそこそこ古い友達も見ることができる場所なのでついには小学校入学以前の話を掘り返している。

幼少期ネタが尽きたので生活の中に何かないか探してみた。例えば『星のカービィディスカバリー』を一昨日買ったんだった。これについて書けばよさそう。星のカービィは俺の好きなタイトルだけど、その割には自分で買って遊んだことはない。俺が遊んでいたのは友達のDSiでやった星のカービィウルトラスーパーデラックス(頭の悪い名前)と、星のカービィWiiの二本。Wiiも当然友達のものだった。小学校の夏休み、児童館を卒業し鍵っ子になった俺はしょっちゅう友達の家に行ってゲームをしていた。ゲーム以外にやることはザリガニ釣りしかなかった。ゲームORザリガニ。俺はゲームを持ってなくて何をやっても下手くそだったので、ひたすら足を引っ張っていたのが懐かしく、しかし今でもFPSをやればそんな感じだ。

ここで俺にカービィをやらせてくれた友人二人について触れてみたくなるけれど、二人とも中学卒業後はほとんど連絡を取っておらず、このようなところで触れるのは少しの気まずさがある。思い出とは往々にしてそういうものだ。少なくとも俺にとっては。それはブログで触れる必要のないことだからかもしれないし、カービィひとつとっても10年遡る必要がある俺の引き出しに問題があるのかもしれない。

だからと言ってはなんだが、10年の時を超えて再会した俺とカービィの現在と未来について考えるべきだろう。前向きに。

まず今作をプレイして再確認しことだが、カービィはちいかわとか言っている場合ではない程にかわいい。今作はカービィがフィールド内の大きめのオブジェを吸い込んで身体をその形に変形させる「ほおばり変形」という要素がある。言葉では分かりづらいと思うので画像を見てほしい。

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【カービィディスカバリー】かいだんほおばりの性能と操作方法【星のカービィ】|ゲームエイト

愛おしさでどうにかなりそう。

カービィといえば大食いとコピー能力だが、ゴムのようによく伸び縮みするその体でデカいものを吸い込んじゃったらどうなるんだろう!?→こうなりました というのがプレイ中に体験できるのが最高。ありとあらゆるものを吸い込ませたい。何を吸い込んだって可愛いので。

ほおばり変形のぬいぐるみなどがあったらほしい。「くるまほおばり」はピンク以外の色もあってフィギュア化するのにちょうど良いのではないか?あるならデスクに一つ置きたい。

しかしこのほおばり変形、何か原初の欲求を突いてきている感じがして本当に上手いなと思う。カービィが自分よりでかいものを吸い込んで体が変形してしまう様子を見たいというのは、誰もが心のどこかで思っていたことだろう。そこをピンポイントに突いてくるのがすごいし、それをステージギミックに落とし込んでゲームをより面白くしているのは更にすごい。アホみたいに半開きにしていた口におしゃぶりをねじ込まれたような気分になる。俺たちはそれをちゅぱちゅぱしゃぶれば気持ちよくなれるわけで、良いプレイ体験とはそういうものだと思った。

ものを作るならこういうものだ。半開きの口におしゃぶりを突っ込むような商売をするべきなのだ。いつか星のカービィのような気持ちのいいおしゃぶりを作りたい。